(注意)性的な表現が含まれていますので御了承ください。
僕がこの新しい家に慣れることはそう難しくはなかった。
一戸建ての平屋ではあるが、六畳の和室と六畳のキッチン、あと風呂とトイレというシンプルなもの
だった。築年数は30年くらいらしいが、手入れが行き届いていてとてもそんな古い建物には見えな
い。水まわりもとても清潔だった。
和室の道路側に大きな窓があり、玄関代わりにそこから出入りしていた。天気のいい日はだいたい
窓を全開にして、風に当たりながら昼寝をしたり、本を読んだり、毎日のように訪れる訪問者と話を
したりしていた。
僕は今、働いていない。二ヶ月前に失業して一ヶ月前に、肉親も知り合いも居ないこの島に来た。
小さなさびれたこの島で仕事と言えば漁業くらいしかなかった。僕は少しだけ漁師の見習いのような
ことをしていたのだけど船酔いが克服できず断念した。今、僕がこの地にとどまる理由は全くない(最
初からなかった)けど、僕は少しだけこの生活が楽しくて辞められずにいる。
僕が窓際でぼんやりしていると、近所に住む川田のおじさんがやってきた。といっても彼は毎日の
ように僕の家にやってくる。手土産をもって。
「今日はこんなのが揚がったんでな」
そう言って、僕の前に発泡スチロールの白い箱を差し出した。中には僕の手のひらの1.5倍くらい
はありそうな立派なカレイが張り付いていた。
「まぁ煮つけか、から揚げだな」
「うまそうですね。いつもありがとうございます」
川田のおじさんは、僕の隣に腰掛けるとその日の漁のことや、どこかで仕入れてきた町の情報や
噂話、家族のことをいろいろと話してくれる。
「週末になったら酒でも飲みにこいよ、もっとうまい魚を用意しとくから」
僕はにっこり笑って、お辞儀をする。川田のおじさんは軽く手を振って満足そうに帰っていく。
僕は早速調理にとりかかる。慣れた手つきでカレイをさばいて、冷蔵庫にしまう。アラは後でやってく
るお客さんの為にとっておく。
日が傾むくころ、僕は久しぶりに釣りに行ってみようと思い、道具を持って近くの堤防に出かけた。
川田のおじさんが最近型のいいのが釣れるといっていたのを思い出した。僕は丁寧に餌を取り付ける
とおもりに勢いをつけて遠くに針を飛ばした。あとはぼんやりと浮きのあるほうを見ていた。
日が落ちてあたりが暗くなる頃には堤防には僕一人しか残っていなかった。僕は帰り支度を始め
た。
その帰り道、僕はある女性に目をひかれた。夕方、僕が堤防へやってきたときにもたしかいた女性
だった。その身なりは地元の人間ではないように思う。小ぶりのボストンバッグが足元に置かれてい
るところを見ると旅行者かもしれない。ぼくがあまりにもじっと見ていたからだろう。その女性も僕のほ
うを少し眺めるようにみてから、にっこりと笑いちいさくお辞儀する。
「誰かを待っておられるんですか」
彼女は僕の問いに首を横に振るだけで答えた。
「この辺は街頭がないから、もうすぐ真っ暗になってしまいますよ。危険はないと思うけど、心細いで
しょう」
すると彼女は僕のほうに近寄ってきた。
「近くに住んでらっしゃるんですか」
「ええ、この道をまっすぐ行ってすぐのところです」
彼女はすこし考えたようなしぐさをしてから、僕が持っていたバケツを覗き込んでいった。
「これ、釣ったんですか」
「はい、さっきまでそこで釣りをしてたんです」
僕は防波堤のほうを目で示した。
「道に迷ったんですか」
「いえ、そういうわけじゃないんです」
「もし、宿を見つけたいなら家に電話帳があるから使ってもらっていいですよ」
僕がそういうと、彼女はさっきと同じような笑みをうかべた。
「猫を飼ってるんですね」
彼女は窓際の僕の隣に腰掛けたまま言った。
「野良猫なんです。魚のアラをやってるうちに勝手に台所まで入り込むようになって、でも食事が終わ
ると、さっさとどこかへいってしまうんです」
彼女はにっこり笑ってうなずいた。
「そろそろ、夕飯を作らないと」
僕は時計を見ていった。彼女はすこしうつむいたまま真っ暗な庭をみている。
僕は彼女に何かいおうとしてやめた。そして台所に行って川田のおじさんにもらったカレイと、自分
で釣ったアジを使って夕食のおかずを作った。彼女は僕を手伝おうとしてくれたけど、僕は彼女を和
室に座らせて全部自分で用意した。
「行くところがなければ今日は家に泊まってもいいですよ。狭いけど一人くらいなんとかなる。もし、
あなたが嫌でなければ」
「私もそうしてもらえたらいいなと思っていたところです」
彼女はおなかがすいていたのか残さず全部食べていた。
「こんな美味しい魚を食べたのは久しぶりかもしれない」
とても満足そうだった。
次の日、僕が目覚めたとき、太陽はすでに高く、僕の隣に彼女の姿はなかった。荷物も全部見あた
らなかった。僕が眠っている間に彼女はこの家を出て行ったみたいだった。僕はぼんやりと部屋の中
を眺めた。僕が着ていたTシャツとジーンズがきちんとたたまれている。僕は自分の体に目をやった。
裸のままだった。
僕は風呂に入り、洋服を着た。そして簡単に朝食をすまし、窓際に座り昨日の夜のことを思い出し
ていた。
彼女の為に和室に布団を用意して、僕は台所で毛布に包まって眠っていた。
体が痛かったのと、隣の部屋に彼女がいたことで緊張していたのかもしれない、僕は眠れずにい
た。そうしているうちに、隣の部屋からすすり泣くような声が聞こえてきたのだった。僕はどうしようか
さんざん迷ったあとで、ふすまを開いて彼女に声をかけた。
彼女は横になってこちらに背中を向けて泣いているみたいだった。僕の声を聞くと彼女は体を起こし
震える声で、つらいことを思い出したといった。僕はどんなことなのか聞いてみたけど、彼女は話すこ
とが出来なかった。
僕がタオルを持って、彼女のそばに行くと彼女は僕の体に抱きつくようにしがみついてきた。そして、
ここにいて私を抱いていて欲しいといった。僕は彼女をゆっくりと寝かし、彼女の体を包み込むように
同じ布団に入った。そして、どちらからということもなく自然に唇を重ね、体を重ねた。僕は性欲に関し
ては淡白な方であると常に感じていたが、どういう訳だろう、果てても果てても、また次の性欲が体の
奥から湧き上がってくるみたいだった。僕だけでなく彼女もそのようだった。苦しげな表情を見せなが
ら必死に僕にしがみついているみたいに見えたけど、最後まで僕から離れようとはしなかった。
僕が我に帰って、時計を見るととっくに昼を過ぎていた。いつも川田のおじさんが手土産を持って
やってくる時間も過ぎていた。少し待ってから今日は彼が来ないことを悟ると、釣りに行く準備をした。
別に今日も魚を食べたい訳じゃないけど、もしかしたら彼女がまたここにやってくるんじゃないかとい
う気がしたからだ。そして堤防に向かう途中、彼女の名前を聞いていなかったことを思い出した。彼女
もまた僕の名前を知らない。
つづく