--------

Ads by Google

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

2008-08-30

赤いマニキュア <後編>

 そうやって、爪を伸ばしていることがごく当たり前に感じるようになって、あらためて自分の爪を観察

すると、なかなかキレイな形をしていることに気づく。適度に厚みがあり、細くてピンクの部分が縦長

で、指先を軽く包むような形をしていた。キレイな指先だね、と言われることも多くなった。そうなると、

今まで隠そうとしていた反動か、より目立つように人目につくようにしたいという衝動にかられるように
 
なり、自分では限界があるのでネイルサロンに通うようになった。最初はあまり派手でないデザイン

から始めたが、だんだん物足りなくなってエスカレートしていくのにそう時間はかからなかった。爪に

穴をあけ、リングを通し一センチにも満たないプラスチックで出来た小さな熊をぶらぶらさせたり、立

体的な石やガラスで爪の表面を埋め尽くしたのだった。母は私の指先をじっくり見た後、

「邪魔じゃないの」

「別に」

「はがれたりしないの」

「しないよ」

「どうやってくっつけてるの」

「瞬間接着剤」

 興味があるのかいろいろと質問してくる。でも結局最後には私の全身を上から下まで観察して

「あほっぽい」

 と言い捨てるのだった。

 会社のほうではどうだったかというと、めずらしい珍獣でも見るような感じで、ほぉー、と感心する人

もいれば、こういうのは若いうちにしか出来ないものよね、と何かに言い訳するように納得する人もい

た。富山さんはというと、少々困惑気味であるようだった。確かに、カジュアルな普段着に合わせた

ネイルは抑え目の会社着の時には色もデザインも浮きすぎていた。私がもう少し年を重ねていたな

ら、間違いなくおかしいと感じるレベルだろう。しかし現実に私はその失敗の大きさに気がつかないく

らい自分を客観的に見ることが出来ないでいた。富山さんは、ここまでくると芸術作品だね、と自分

の言葉に納得するように何度かうなずいていた。

 

 ネイリストの資格を取りたいと思うようになったきっかけは、サロンに通ううちに仲良くなったネイリ

ストの美香ちゃんの影響だった。美香ちゃんは私よりもひとつ年下で、去年ネイルスクールを卒業し

て今の店に就職したということだった。独立する自信と資金をためていずれ自分で個人のネイルサ

ロンを持つのが夢だといった。一度だけ会わせてもらった美香ちゃんの彼氏は、彼女の茶髪のロン

グの巻き毛と浅黒い肌に、濃いアイラインとこてこてのマスカラには不似合いな感じの、さわやかな

サラリーマン風のイケメンだった。私も美香ちゃんのように夢をもって着飾って輝いていれば、あんな

素敵な彼が出来て毎日が楽しくてしょうがないって気分になれるのだろうか。

 ネイルが大好きというわけでも、才能があると思うわけでもない。単純に自分の生活を変えたかった

だけなんだと思う。みんなからうらやましがられるような彼や、仕事や、生活を手にしてみたかったの

だと思う。そうだ、私は美香ちゃんがうらやましかったんだ、それだけ。

 当然、ネイリストになりたい私の夢は瞬く間にしぼんで跡形もなく消えてしまった。一時は仕事も辞

めることを考えたりしたけど、辞めずによかったと思っている。そして、今は爪も短く切ってしまってい

る。

 実は少し前にこんな事件があった。

 私は酔っていた。友達と居酒屋からふらふらになりながら出てきて、路上で騒いでいた。ふと見る

と、少し離れたところに、富山さんを見つけた。後で、それは富山さんではないことがわかったのだ

けど、そのときは富山さんだと思い込んでいた。私は富山さんの後姿に向かって名前を呼んだ。大声

で叫んでいたと思う。酔っ払っていた上に、高くて細いヒールの靴をはいていた私は道路端の10セン

チの段差を無防備な状態で落っこちるように転んでしまった。で、気がついたら右手薬指の爪がはが

れていた。真っ赤な血が腕まで流れて固まっていた。

 それ以来、私は赤いマニキュアをつけていない。そして、富山さんに対する嫌悪感も少し薄らいで

きたように思う。結局私の日常は平凡なままなのだけど、また何か変化のようなものがやってきても

またここに戻ってくるんだろうなと思っている。

 
                                 おわり




 にほんブログ村 小説ブログ 短編小説へ



 

 

 

2008-08-20

赤いマニキュア <前編>

 私には爪を噛む癖があった。小学校に上がる前からあったと思う。20年以上まわりから注意され続

けたけど直らなかった。学校の先生からも怒られた。私の爪を見て汚らしい、とののしった小学校の

担任のゆがんだ表情と冷たい視線は今でも鮮明に思い出せる。

 常に私の爪がどんな風だったかというと、まず極限に短く、表面のつるつるした面は剥ぎ取られ爪

の繊維がむき出しになってがさがさしている。つめ周辺の皮はめくれ、薄くなって赤く腫れた色をして

いる。逆剥けだってある。血がにじんでいることなどはしょっちゅうだった。言うまでもなく、痛みもとも

なう。辞めさせようとした人たちの気持ちは本人も十分わかっていた。
 
 年頃になると恥ずかしいという気持ちが出て来て人の目に触れないように隠すことに神経を使うよ

うになった。恥ずかしいくらいなら辞められるだろうと思う人もいるかもしれない。でも、辞められなか

った。逆にそれで辞められるならもっと前にやめられたと私はおもう。しかしながら私の知る、同じくせ

を持つ子達はだいたいこの時期に克服していった。私の母がいちいち報告してくれた。だれだれちゃ

んはきれいに爪が生えたって、このプレッシャー作戦も私には効果がなかった。がんこな子だね、な

んて言われたけど、意地をはってるわけじゃなくて本人だってほとほと困っていたのだ。

 
 ところがこのしつこく私に付きまとっていた嫌な癖がある時、突然ぴたりと出なくなった。

 その頃、私は小さな会社に勤めていた。社員数30人にも満たない平均年齢46歳という、なかなか

味のある会社だった。私はそのとき22歳で社内で一番若く、私の次に若い人は36歳の女性で富山

さんと言った。それ以上は40代という、高齢化社会を身近に感じさせてくれる会社だった。

 富山さんがどういう人か簡単に説明すると、地味でまじめで物静かな人だった。未婚で、恋人もなく

そのせいか女としての自覚に欠けているところがあった。化粧っけがなく、黒い髪の毛を後ろでひとつ

にまとめたスタイルしか私は見たことなかった。服装も、黒系、茶系の服を好んで着ていたので一度

公務員みたいですねといったら、ちょっとうれしそうな表情をして本当は公務員になりたかったのと

言っていた。会社が終わるとまっすぐに家に帰り、昼休みは私と雑談する以外は本を読んでいること

がほとんどだった。同じ営業事務だったこともあって自然と接する機会が多かったのだけど、私は富

山さんのことが嫌いではなかった。趣味が違うし、私は若かったのでおしゃれや恋愛に積極的な気持

ちを持っていたので物足りなさを感じることはあったけど、適度な距離感と、彼女の優しさからくる気

遣いは同年代の友人や、両親からは得られないものだと感じていた。

 ところがある日、私は気づいてしまった。彼女は考え事をしていて頬に手のひらを当てていたのだけ

ど、その指先が痛々しいほどに荒れていたのだ。一目見て爪を噛む癖のせいだとわかった。私の視

線を感じたのか、彼女はすばやく指先を隠すようにデスクの下に手を入れた。今まで私が気づかなか

ったのは彼女も私と同じように細心の注意を払って人目から遠ざけようとしていたのだろう。

 自分だって同じ癖をもっているのに、私が彼女に感じたのは嫌悪感だった。気持ち悪いものを触っ

てしまったときのように嫌な感触がいつまでも残った。すばやく手をデスクの下に入れるところなんて

本当にみっともなく見えた。大げさに聞こえるかもしれないけど、富山さんに対する私の印象はもう元

には戻せそうにはなかった。その瞬間から、私は自分の爪を噛まなくなった。

 一ヶ月もすると醜かった私の指先はきれいに生まれ変わり、今までは沁みて痛いので塗れなかっ

たマニキュアも塗れるようになった。そのうち、日常生活に支障が出そうなくらい伸ばしてみたり、先

をとがらせて形を整えてみたり自由自在に楽しめるようになった。半分諦めていた親は驚いていた

けど喜んでいたし何より、自分の体の一部を後ろめたく感じることから自由になれたので、私の気持

ちがすっきりしていた。                           
                                        つづく


にほんブログ村 小説ブログ 短編小説へ

2008-08-12

島の家<後編>

 彼女は結局帰ってはこなかった。僕は猫に餌をやり、一人で夕食をすまし、一人で布団に入った。

一ヶ月以上ここでこれと同じ生活を続けてきたのに、昨日一晩の出来事があっただけで、今の生活

がひどく寂しいと感じるようになってしまった。

 僕は彼女の肌の感触を思い出しつつ、ゆっくりと眠りについた。

 次の日、昨日は来なかった川田のおじさんが、いつもより早い時間にやってきた。

「今日は漁には出なかったんですか」

 川田のおじさんはいつもより機嫌がよさそうだった。よく日に焼けた赤ら顔をさらに上気させて

言った。

「昨日娘が帰ってきてなぁ、今日は親戚も呼んで酒でも飲むから夕方には家においでなさい。みんな

待ってるから」

 そういえば僕は川田のおじさんから娘さんの話をよく聞かされていたことを思い出した。確か本州

に住んでいるといっていたっけ。

「まだ仕事が残ってるもんだから」

 川田のおじさんはそう言って早足で帰っていった。

 しばらくして、僕はあることを思いついて買い物に出かけた。行き先は酒屋だった。いつも川田の

おじさんには良くしてもらってるからおじさんの好きなお酒でも手土産に持っていこうと思ったからだ。

 そこで僕は川田のおばさんに偶然会った。

「あー、おにいちゃんひさしぶりやねぇ。今日は家に来てくれるんでしょ、お父さんが楽しみにしてる

から」

「娘さんが帰ってこられたんですね」

 僕がそういうと、川田のおばさんは少し驚いた表情をして僕に近づくと小声で話した。

「そうなんだけどねぇ、あまり知られたくないから他の人にはいわないでいてほしいのよ」

 僕は無言でうなずいた。

「たいした理由はないんだけど、気にしないで」

 そういうと笑顔で手を振って帰っていった。

 僕は来た道をのんびり歩いて帰った。夕方まではもう少し時間がある。

 

 
 僕は家に着くと、珍しく缶ビールを開けた。長い間冷蔵庫で眠っていたから良く冷えてうまかった。

 僕が窓際で壁にもたれ、ぼんやり庭を眺めながらビールを飲んでいると、見慣れない誰かが僕の

家のほうに近づいてきた。その女性はTシャツに膝までのデニムパンツとサンダルをはいていた。

いかにも地元の人らしい雰囲気が漂っている。彼女は僕のほうにまっすぐに向かってきた。僕は彼

女の顔をはっきりと見たとき突然にひらめいて、彼女にこう話しかけた。

「川田さんの娘さんだったんですね」

 彼女は前と変わらない笑顔でうなずいて言った。

「真一さんですね。時子です。この家を見せてもらいがてら、あなたを迎えに行くと言って出てき

たの」

 彼女は僕の隣に腰を下ろすと僕の胸元を見ていった。

「この前はごめんなさい。だますようなことをして」

 僕は彼女のほうを見て、顔を横に振った。

「少し前に、母親から聞かされて。この家に新しい住人が越してきたって。どんな人か会ってみた

くて、ここに帰ってきたの」

 僕は空き缶を脇に置いた。彼女はそれを目で追っていた。

「偶然あなたに会って、なんとなく本当のことを言いそびれてしまって」

「そのことを僕は気にしていないよ」

 彼女はやわらかく笑った。僕は彼女に聞いた。

「どうして僕にあいにきたのか、話してくれるつもりはないのかな」

 彼女は少し暗い表情になった。

「真一さんを傷つけたりしないか心配なの」

「僕なら平気だよ」

 彼女はうつむいたまま、うなずいた。

「私の恋人だった人がここに住んでいたの。あなたと同じように本州からやってきて漁師の仕事を手

伝っていた。私たちは出会って間もなく同棲して、私は何の疑いもなく彼とこのまま結婚するのだろ

うと思っていたわ。」

 彼女は足元の小石をサンダルのつま先で蹴った。

「結局、彼は島での生活になじめなくて、一人で出て行くと言ったけど私は無理やりついていった。

そして本州に船が着いたとたん、私をおいて姿を消してしまったの。何の手がかりもなく、私は島に

戻るしかなかった」

 彼女は立ち上がると僕のほうを見た。

「そろそろ、行かないと」
 
 僕はゆっくり起き上がると、サンダルを足にはめ、彼女の後について歩き出した。

「真一さんが彼でないことは最初からちゃんとわかっていたけど・・・」

 彼女はそこで話すのを辞めてしまった。



 「真一さんいらっしゃい、さぁ上がって」

 川田のおばさんが玄関まで出迎えてくれた。僕はサンダルを脱ぎ、足が汚れていないか確かめて

から部屋に入った。

 そこからのことはあまり覚えていない。目が覚めると僕は自分の家で布団に入っていた。外はまだ

暗かった。頭が痛いのを我慢して台所に行き、水をたくさん飲んだ。

 しばらく布団の中で眠くなるのを待っていると、庭のほうから足音のような物音が聞こえてきた。僕

は息をころし、耳をすました。物音は玄関先までやってきたかと思うと、しばらくして今度は家から

遠ざかっていく。僕は少しだけ窓を開けて庭をみた。そこには月明かりに照らし出された時子の後ろ

姿があった。ただ、足取りが恐ろしく危うかった。僕は彼女はひどく酔っ払っているのだとそのときは

思っていた。

 次の日、目が覚めてから僕はあることをずっと考えていた。この島にとどまる理由のないことを。今

の生活を続けていくことは出来ないということを。

 太陽が照りつける前に、僕は散歩に出ようと思い立った。とりあえず、いつも行く防波堤まで行くつ

もりで歩き出した。防波堤にたどり着くと、なにやら港のほうに人が集まって騒がしい。僕はそちらの

方へ歩き出した。

 人の集まりに近づくにつれ、それがただの騒ぎではないことがわかってきた。誰かの泣く声や、叫

ぶような声が耳に入る。僕はその場に駆け出した。

 僕がそこにたどり着くのと同時に、救急車が猛スピードで港に入ってきた。担架が用意され、人ご

みに吸い込まれていく。僕は人を掻き分けて担架のほうを見た。

 そこに、一人の人間が横たわっていた。パジャマのような服を着て全身、髪の毛も全部ぬれていた。

僕は一瞬でそれが誰だかわかった。青白い血の気が完全にうせた顔だったけれど。

 時子さんは、恋人と別れてから精神が不安定になっていったらしい。それは彼女がかつての恋人

の子供を流産してしまったことも原因のひとつだろう。彼女は深夜、家を抜け出し町を徘徊するように

なった。彼女の両親は島の人たちの目を避ける為に彼女を本州の病院に入院させることにした。

 彼女は昨日の夜、無意識のうちに徘徊し、家族が気がつく前に海に落ちて溺れてしまった。




 僕は荷造りを完全にすませ外にでると、玄関の鍵を閉めた。使っていた家具類はすべて最初から

ここに備え付けてあったものだったから、僕の荷物はボストンバックひとつにすっかり収まっていた。

船の時間まで随分とある。船着場はここから歩いて一時間くらいだろう。十分間に合う。僕は川田の

おじさんにあいさつしていこうか随分迷ったけど、結局辞めにした。もう少し時間がたってから、手紙

でも書けそうだったら書こう。

 そして僕は歩き出す。何気なしに後ろを振り返ると、家の玄関先に猫が一匹座っている。しばらく

僕を見送ったあと、庭の茂みに吸い込まれるように消えていった。


                                         おわり  

                                      
にほんブログ村 小説ブログ 短編小説へ

2008-08-11

島の家 <前編>

 (注意)性的な表現が含まれていますので御了承ください。




 僕がこの新しい家に慣れることはそう難しくはなかった。

 一戸建ての平屋ではあるが、六畳の和室と六畳のキッチン、あと風呂とトイレというシンプルなもの

だった。築年数は30年くらいらしいが、手入れが行き届いていてとてもそんな古い建物には見えな

い。水まわりもとても清潔だった。

 和室の道路側に大きな窓があり、玄関代わりにそこから出入りしていた。天気のいい日はだいたい

窓を全開にして、風に当たりながら昼寝をしたり、本を読んだり、毎日のように訪れる訪問者と話を

したりしていた。

 僕は今、働いていない。二ヶ月前に失業して一ヶ月前に、肉親も知り合いも居ないこの島に来た。

小さなさびれたこの島で仕事と言えば漁業くらいしかなかった。僕は少しだけ漁師の見習いのような

ことをしていたのだけど船酔いが克服できず断念した。今、僕がこの地にとどまる理由は全くない(最

初からなかった)けど、僕は少しだけこの生活が楽しくて辞められずにいる。


 
 僕が窓際でぼんやりしていると、近所に住む川田のおじさんがやってきた。といっても彼は毎日の

ように僕の家にやってくる。手土産をもって。

「今日はこんなのが揚がったんでな」

 そう言って、僕の前に発泡スチロールの白い箱を差し出した。中には僕の手のひらの1.5倍くらい

はありそうな立派なカレイが張り付いていた。

「まぁ煮つけか、から揚げだな」

「うまそうですね。いつもありがとうございます」

 川田のおじさんは、僕の隣に腰掛けるとその日の漁のことや、どこかで仕入れてきた町の情報や

噂話、家族のことをいろいろと話してくれる。

「週末になったら酒でも飲みにこいよ、もっとうまい魚を用意しとくから」

 僕はにっこり笑って、お辞儀をする。川田のおじさんは軽く手を振って満足そうに帰っていく。

 僕は早速調理にとりかかる。慣れた手つきでカレイをさばいて、冷蔵庫にしまう。アラは後でやってく

るお客さんの為にとっておく。

 日が傾むくころ、僕は久しぶりに釣りに行ってみようと思い、道具を持って近くの堤防に出かけた。

川田のおじさんが最近型のいいのが釣れるといっていたのを思い出した。僕は丁寧に餌を取り付ける

とおもりに勢いをつけて遠くに針を飛ばした。あとはぼんやりと浮きのあるほうを見ていた。

 日が落ちてあたりが暗くなる頃には堤防には僕一人しか残っていなかった。僕は帰り支度を始め

た。

 その帰り道、僕はある女性に目をひかれた。夕方、僕が堤防へやってきたときにもたしかいた女性

だった。その身なりは地元の人間ではないように思う。小ぶりのボストンバッグが足元に置かれてい

るところを見ると旅行者かもしれない。ぼくがあまりにもじっと見ていたからだろう。その女性も僕のほ

うを少し眺めるようにみてから、にっこりと笑いちいさくお辞儀する。

「誰かを待っておられるんですか」

 彼女は僕の問いに首を横に振るだけで答えた。

「この辺は街頭がないから、もうすぐ真っ暗になってしまいますよ。危険はないと思うけど、心細いで

しょう」

 すると彼女は僕のほうに近寄ってきた。

「近くに住んでらっしゃるんですか」

「ええ、この道をまっすぐ行ってすぐのところです」

 彼女はすこし考えたようなしぐさをしてから、僕が持っていたバケツを覗き込んでいった。

「これ、釣ったんですか」

「はい、さっきまでそこで釣りをしてたんです」

 僕は防波堤のほうを目で示した。

「道に迷ったんですか」

「いえ、そういうわけじゃないんです」

「もし、宿を見つけたいなら家に電話帳があるから使ってもらっていいですよ」

 僕がそういうと、彼女はさっきと同じような笑みをうかべた。



「猫を飼ってるんですね」

 彼女は窓際の僕の隣に腰掛けたまま言った。

「野良猫なんです。魚のアラをやってるうちに勝手に台所まで入り込むようになって、でも食事が終わ

ると、さっさとどこかへいってしまうんです」

 彼女はにっこり笑ってうなずいた。

「そろそろ、夕飯を作らないと」

 僕は時計を見ていった。彼女はすこしうつむいたまま真っ暗な庭をみている。

 僕は彼女に何かいおうとしてやめた。そして台所に行って川田のおじさんにもらったカレイと、自分

で釣ったアジを使って夕食のおかずを作った。彼女は僕を手伝おうとしてくれたけど、僕は彼女を和

室に座らせて全部自分で用意した。

「行くところがなければ今日は家に泊まってもいいですよ。狭いけど一人くらいなんとかなる。もし、

あなたが嫌でなければ」

「私もそうしてもらえたらいいなと思っていたところです」

 彼女はおなかがすいていたのか残さず全部食べていた。

「こんな美味しい魚を食べたのは久しぶりかもしれない」

 とても満足そうだった。



 次の日、僕が目覚めたとき、太陽はすでに高く、僕の隣に彼女の姿はなかった。荷物も全部見あた

らなかった。僕が眠っている間に彼女はこの家を出て行ったみたいだった。僕はぼんやりと部屋の中

を眺めた。僕が着ていたTシャツとジーンズがきちんとたたまれている。僕は自分の体に目をやった。

裸のままだった。

 僕は風呂に入り、洋服を着た。そして簡単に朝食をすまし、窓際に座り昨日の夜のことを思い出し

ていた。

 彼女の為に和室に布団を用意して、僕は台所で毛布に包まって眠っていた。 

 体が痛かったのと、隣の部屋に彼女がいたことで緊張していたのかもしれない、僕は眠れずにい

た。そうしているうちに、隣の部屋からすすり泣くような声が聞こえてきたのだった。僕はどうしようか

さんざん迷ったあとで、ふすまを開いて彼女に声をかけた。

 彼女は横になってこちらに背中を向けて泣いているみたいだった。僕の声を聞くと彼女は体を起こし

震える声で、つらいことを思い出したといった。僕はどんなことなのか聞いてみたけど、彼女は話すこ

とが出来なかった。

 僕がタオルを持って、彼女のそばに行くと彼女は僕の体に抱きつくようにしがみついてきた。そして、

ここにいて私を抱いていて欲しいといった。僕は彼女をゆっくりと寝かし、彼女の体を包み込むように

同じ布団に入った。そして、どちらからということもなく自然に唇を重ね、体を重ねた。僕は性欲に関し

ては淡白な方であると常に感じていたが、どういう訳だろう、果てても果てても、また次の性欲が体の

奥から湧き上がってくるみたいだった。僕だけでなく彼女もそのようだった。苦しげな表情を見せなが

ら必死に僕にしがみついているみたいに見えたけど、最後まで僕から離れようとはしなかった。

 僕が我に帰って、時計を見るととっくに昼を過ぎていた。いつも川田のおじさんが手土産を持って

やってくる時間も過ぎていた。少し待ってから今日は彼が来ないことを悟ると、釣りに行く準備をした。

別に今日も魚を食べたい訳じゃないけど、もしかしたら彼女がまたここにやってくるんじゃないかとい

う気がしたからだ。そして堤防に向かう途中、彼女の名前を聞いていなかったことを思い出した。彼女

もまた僕の名前を知らない。


                                              つづく
 

 にほんブログ村 小説ブログ 短編小説へ


 




 
 
 

 

2008-08-08

凍りつく目 <後編>

 私の前のソファーに、リアーナがゆったりと座っている。きれいな形のふくらはぎが目に付いた。
 私の知っている頃の彼女とは随分と印象が違った。洋服やヘアスタイルのせいかもしれない。
 彼女はうっすらと笑みをうかべる。
「美由紀さん、おひさしぶりね。元気にしてた」
 眩しそうな目をしていった。
「ええ、それなりに」
 私はリアーナを見た。
「あなたのことがとても気がかりだったの」
 その言葉に私は彼女から目をそらす。
「私のことは何も心配要らないわ、十分うまくやってるから」
「私は間違ってたのかしら」
 リアーナはつぶやくようにいった。そして一瞬、表情をゆがめた。そしてすぐに、もとの穏やかな花のようなうっすらとした笑みを浮かべる。
「何を間違えたの」
 その問いにリアーナは答えなかった。もしかしたら、聞こえていなかったのかもしれない。
「この家は狭いわ。私のお気に入りの家具が入らなかったの。今は倉庫で眠ってるわ」
 リアーナはリビングを見渡した。まるでどこかに失敗がないか探しているみたいに念入りだった。
「少し前まで、ワシントンに住んでいたのよ」
「恭介さんにきいたわ」
 リアーナは窓のほうをを見た。ただ、視線はずっと遠くに向けられているみたいだった。
「今、そのときのことを思い出していたの」
 リアーナは窓のほうを向いたままいった。
「戻りたいけど、戻れない。私は心をそこにおいてきてしまった」
 彼女はそれ以上何も話さなかった。

 私は恭介の運転する車の助手席にいた。車は静かに路面を滑るように走っている。
「こんな遅くまで悪かったね。リアーナのことを前もって話しておくべきだったかもしれないけれど、君が来てくれないと思ったから」
「気にしないで。私もリアーナと話せてよかった」
 恭介は私の方をちらりと見た。
「リアーナをどう思う」
「別にどこかおかしいとは思わなかったわ。ただ、孤独な感じがした」
 恭介は何も言わなかった。
「ワシントンに戻りたいようなことを言っていたけど」
 恭介のハンドルを握る手が一瞬震えたように見えた。
「それは出来ないんだ」
 恭介の声が弱々しい。私はそれ以上何も言えなかった。しばらくして見慣れた景色が目に入った。そろそろ私の家が近い。時計を見ると車に乗ってから三十分もたっていないことに気がつく。
「こんなに近くに住んでいたなんて」
 今日二人に会うまで、彼らは私の遠い記憶の中だけに存在する、けして生身の人間ではなかった。
 私の暮らすマンションが左手に見える。彼は道路の端に車を停めるとエンジンはつけたまま、サイドブレーキを引いた。
 私は名残惜しい気持ちで彼の横顔を見る。その横顔は思いつめているように見えた。そして彼は重い口を開く。
「実は半年前、突然リアーナから離婚届をつきつけられた」
 恭介は独り言のように言った。
「どんなに理由を聞いても話してくれない。僕は理由を言わないなら離婚には応じないとはねつけた。それ以来、僕たちの関係はゆっくりとゆがんでいったんだ」
 恭介は私の方を見た。そしてゆっくりと私の手のひらの上に彼の手を重ねてきた。彼はそのまま、もう片方の手で私の体を優しく包むように抱き寄せる。彼の唇が私の唇に触れたとき、私は我に帰ったように抵抗した。しかし彼は私が逃げられないように、きつく抱きしめながら唇を押し付ける。私が諦めて抵抗をやめるまで。
 しばらくして彼は腕の力を緩めると、私の胸元に顔をうずめるようにした。彼の皮膚と吐く息から熱が伝わってくる。
 彼は泣いていた。そして、震える声を振り絞っていった。
「リアを失いたくないんだ」
 私は、彼も孤独なんだと思った。
 そして、いつのまにか彼に対する執着のようなものが私の中から消えていることに気がついた。

 それからしばらくして私は古い友人からの電話でリアーナが失踪したことを知った。
 彼女はワシントンに帰ったのだろうか。
 私は思い出す。
 彼女に最後に会った夜、別れの挨拶で彼女は私を軽く抱き寄せた。その体が離れるとき、彼女は私の目を覗き込むように見つめた。
 美しいブルーの瞳はまるで氷塊のように透明で、青く冷たい輝きを放っていたことを。
 
                                   
                                            おわり



にほんブログ村 小説ブログ 短編小説へ
 
 





 
 
 
 


プロフィール

Author:白玉
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
Powered By FC2ブログ

今すぐブログを作ろう!

Powered By FC2ブログ

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード